高学歴底辺ルーボの社会人奮闘記

平凡な理系会社員。。人生経験と映画/旅行/食/写真などの気ままに綴ります

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クチャクチャ音を立てて食べる人と相席になった話から平和について考える

どうも。るーぼです。

 

ある日の出来事。

ラーメン屋で4人席に案内され、店員さんに相席をお願いされるっていう実に珍しい展開。

 

新しくできたラーメン屋さんだったらしく、客は一人で来ている人がほとんどなのに 

全18席中、4人掛けテーブル席が3つもあるという、なんとも現地調査不足というかなんというか、本気で店構えるならもう少し考えろよと、今考えると少しイライラしますが、まあここまでは特になんとも思ってなかったです。

 

しかし、、、こういう時に限って相席の相手がクチャクチャ音を立てて食べるタイプの人でした、、、

 

気になり出すとずっと気になっちゃって、美味しいラーメンも美味しくないように感じてしまいまして。。。

 

美味しいという感覚は不思議ですよね。緊張してたり、他に集中しちゃうと何故か味がしなくなる。あれは科学的に根拠があるのでしょうか。まあ、緊張は唾液の分泌がどうのこうのとかあるかもしれんが、、、

 

それはそうと

ここで僕はラーメンを食べながらこんなことを考えていました。

 

クチャクチャ音を立ててる人は自分でクチャクチャ音を立ててることに気付いていないのだろうか。

 

それとも、クチャクチャ音を立てていることに気付いてはいるけど気にならないのだろうか。

 

はたまた、クチャクチャ音を立てることに対して、不快だと思っている人がいるということに気付いていないのだろうか。

 

もはや、全てに気付いていてあえてクチャクチャ音を立てているのだろうか。

 

いや、全てに気付いているけど、癖でどうしてもクチャクチャ音を立ててしまうのだろうか。

 

それとも、鼻炎がひどくて鼻が詰まっていてどうしようもなくクチャクチャ音を立てることになっているのか 

 

どれに当てはまるんでしょう。

 

そもそも。クチャクチャ音を立てることに対して不快であると思うことも不思議ですね。

 

私の場合は、小さいときから両親の教育で、「クチャクチャ音を立てて食べてはいけない」と教わってきたため、クチャクチャ音を立てることは悪いことであるという教えが身体に染み付いてしまっています。

 

今更ですが、「クチャクチャ音を立てる人」をググってみたところ『クチャラー』っていうらしいですね。だったら「クチャクチャ音を立てる」ことも『クチャル』ってなるのかなって思いググってみましたがこれはヒットしませんでした。

でもこれから僕はクチャルって言いますね。如何せん、この記事で一生分の「クチャクチャ音を立てる」を使ってしまったので。。。「クチャクチャ音を立てる」を人生で使って良い回数は各々限りがあるとかないとかなので、みなさんも「クチャル」使っていいですよ。

 

でも、「クチャラー」がポピュラー?であるのに対して「クチャル」が検索でヒットしないというのも、これはこれでおもしろことですね。

 

世間の人が本当に不快に感じているのは「クチャル」ことではなく「クチャラーに対してであるという見方もできます。クチャルが他の造語で表されている可能性もありますが、、、

 

つまり、「クチャル」こと自体が問題なのではなく、私と同じように小さい時からクチャルことはいけないことであるという『教え』みたいなものが染み付いていて、その教えに反していることに苛立ちを示すのではないでしょうか。

 

まあ、確かに『クチャクチャ』という音は人間にとって不快な音に当てはまるという説もありますが、僕はそこまで不快だとは思いません。類似した音で好きなクチャクチャもある気がしますし。だけどクチャラーにはイライラします。

 

この時(クチャラーを見たとき)の苛立ちに似たような場面は、考えてみるとちょこちょこあります。

 

例えば

人が行列に割り込んで来たときです。

人が割り込んだところで、自分にそこまで害はありませんが(場合によりますけど)、けっこうイライラします。

私はせっかちな方ではないので、列を割り込まれて自分の番が少し遅れることに対しては、そこまで感情は動きません。

それなのにイライラします。これは列に割り込むことは絶対にいけないという教えといかこの国での常識が染み付いており、それに反することを何食わぬ顔でやってしまうに腹を立てているのだと思います。

列を割り込まれて暴力事件に発展とかもたまに聞くので、かなり多くの人が思っていることではあると思います。

 

 

一方でこういうパターンもあります。

外国籍の方の中には、ラーメンやそば・うどんを音を立ててすする人に対してイライラする方がいるということです。

私達日本人が普通に行っていることですが、違う文化の方にとってはそれが腹立たしく感じることがあるのです。

 

これらのことを、郷に入っては郷に従えとか、文化を許容して寛容に対応していくべきだとか、極端な意見は僕は好きではないですが

それらの受け取り方に相違が生じる可能性のある事柄については把握・理解しておく必要があるなあと僕は思いました。

知っていれば防げるトラブルとか争いも減らせれるのかなと。

 

教えや文化など、その人が常識だと思っていることに対して、平然とそれを覆す人に過剰に腹を立ててしまうと思うんですね。その人にとっての正義なんでしょうかね。

 

正義もおもしろいですよね。

正義の意味としては、道徳的に正しいことに基づくこと・概念だと思うんですけど、その正しいことは基本的に自分主観で決めていますもんね。法律とか分かりやすい基準になっていない限り、自分が基準ですもんね。

 

アベンジャーズみたいなヒーローの正義もおもしろくて、世界を救うために自分は死んで良いけど、仲間は死んではいけない、みたな正義をみんな持ってますけど、自分は死んで良いのかよ!って感じです。かなり自分勝手ですよね。

 

かなり脱線しましたけど

とにかく、人それぞれ自分の価値観の中に絶対的なものがあって、それに反することがあると怒ったりイライラしてしまうよねって話ですね。

んで、それ自体はしょうがないとは思うんですけど、生きていく上で、世界中の人が色んな常識や文化があるということどんどん知っていって、その絶対的な領域みたいなものを徐々に広げていければ、世界中の人が寛容になって、もっと世界が平和になるのかもなあと思ったりします。

 

 

そういう意味でも、多文化に触れるとか、他のことにチャレンジするとか、勉強するとかっていうことは良いことなのかなあと思ったりします。幅広い視野を持つことができるようになって平和につながるのではと。

 

 

なんか、平和を願う若者の主張みたいになってしまいましたが

 

クチャラーの話も、不快に感じる人と、何も感じない人がいて

そのことを皆が知っていて、皆がそれを許容できる世の中であるならば

僕もそこまでイライラしないのかもしれません。

そして、皆がそれらを知っていて、かつ優しい世の中になれば、不快に感じる人が少しでもいれば気を付けよう、やめておこうという気持ちになっていくような気がします。

 

まあ、色々綴りましたが

僕が本当に言いたいことは

 

クチャクチャ音を立てる人は、いい加減それに気付いて治そうよ?ってことです。

 

ラーメンがおいしかった。ってことです。


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では、また。

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